クラスノート

11月23日(木) 15:00~17:30

クラス

「ふさのくに」歴史ラボ 戦国時代の房総

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シェアリング:

・市原市にあったといわれる国分寺木造建築物について

参加会員から古代の木造構造に詳しい資料の共有があった。建築士「2017年11月号より」

それによると、国分寺の造り方についても全国各地の国分寺の作例をみるといくつかの流派に分かれることがわかった。東大寺方式と法隆寺方式の2系統に大きく分かれるようではあるが、市原市の作例は大官大寺方式らしく独自性があったものと考えられる。また全国各地には東大寺式の国分寺構造物が多いのにもかかわらず、関東にあった国分寺には法隆寺様式が取り入れられていたことにも謎が残る。技術者や技術の伝播経路の違いからこうした差異はくるのであろうか。

また、古代の木造巨大建築物の大きな特徴を構造的に資料から理解することが出来たのはありがたい。裳階(モコシ)や垂木がどのような組み方で作り上げられたのか建築学的に理解できたのもありがたかった。後は、こうした技術がいったいどういう経緯を経て千葉の地に伝わったのだろうかという点を研究していきたい。

テーマ

戦国時代における関東の勢力争いの変遷と、房総半島がそうした外部勢力にどのような影響を受けたか・与えたか

ふりかえり

今回は戦国時代という人気の高い時代を扱いました。

全体的なテーマとして、この戦国時代に房総半島がいかに荒廃し、文化的経済的なダメージを負ったかというのを見ていくことを主眼としました。

戦国時代の房総の血みどろの争いを見ていく上で、後北条氏、上杉氏、そして関東管領の分裂勢力という三つ巴の紛争構図を理解することが必須となります。

特に豊臣秀吉・徳川家康連合軍に壊滅させられるまでの関東の覇者であった後北条氏と里見氏との争いの歴史は、戦国時代特有の合従連衡から裏切り対立まですべての要素を凝縮したような歴史的経緯が続くため、この流れは参加者全員で興奮を覚えるところでした。(大河ドラマでこの時代の房総を扱うべきという意見も)

統括として、なぜ源頼朝挙兵の際にはあれほどの巨大戦力を誇っていた房総の武家が、戦国時代の度重なる騒乱を経て、国力を燃え尽きさせるほどに戦い続けてしまったことを理解することができました。

ナビゲーター:

石川 良樹